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聖カロロ・ルワンガと同志殉教者                           記念日 6月 3日



 ウガンダのムワンガ王は、自分の侍従兼王室長官としてヨセフ・ムサカ・バリクデンペという若いキリスト信者を任命した。ヨセフは、ムワンガ王が若者たちをみだらな行為に誘うので、王を嫌って、若者たちを保護しようと努めた。その頃、王は外国から来る訪問客たちが自分の悪行をイギリス政府に報告することを非常に恐れていた。
 1885年10月、王が英国聖公会の宣教師ジェームス・ハニングトン主教を殺すように役人たちに命じたので、ヨセフは、それに対して非常に反対した。翌月、ヨセフは生きながら火あぶりにされて殉教した。死ぬ前にヨセフは言った。「神のために自分の命をささげるキリスト信者は死を恐れません。ムワンガ王は、理由なしに私を死刑に宣告しました。しかし、私は心から王様を許すと伝えてください」。

 6ヶ月後、ムワンガ王はますます残酷になり、14歳の小姓がカトリックの教理を習っていることを見つけた時、教えていたデニス・セブグワオを肉切り包丁で殺してしまった。次に、王は宮殿の近くに住んでいた全部のカトリックとプロテスタントの信者たちを殺すように命じた。その後小姓の頭をしていた人が自分の息子を含めて5人の小姓たちに洗礼を授けた。翌日、王は再びキリスト信者たちに激しく怒ったが、誰も棄教する者は居なかったので、32人のカトリックとプロテスタントの信者たちは火刑に処せられるためにナムゴンゴという所へ連れて行かれた。彼等の多くは、酋長であった聖カロロ・ルワンガから、「笑っておしゃべりしながら」死に向かっていった13歳の聖キジトに至るまで、ムワンガの一家の若い近習であった。数人はその途中で殺されたが、マチア・カレンバという地方裁判官は次のように宣言した。「神は私を救われるのですが、神がどのように救われるのか、あなたがたは見られないでしょう。神は私の魂を連れて行かれ、私の体だけをあなたがたに残されるからです」。
 彼の体は細かく切られ、死期が長引くようにと道ばたに捨ておかれた。残りの殉教者たちはナムゴンゴで、葦のむしろに巻かれて横たえられ、生きながら焼き殺された。残りの殉教者たちは、静かに彼等の救い主に祈りながら帰天した。
 彼等の祝祭日は、ウガンダ政府によって国民の祝日とされた。これらの者たちと他の多くのウガンダ人は、自分たちのキリスト教信仰のために、またある場合ではムワンガの倒錯した性的な習癖に仕えることを拒絶したために受難したのである。